ルーツ

さて、今回から始まりました「らくがき帳」。ココではテーマを限定せず色んな事について書いていきたいと思います。

・・・と言うより、テーマを限定出来なかっただけなんですけどね。(^^;;;
日頃感じてることとか、ちょっとした出来事など、今までそう言うのを書く場所が無かったんで、作ってみました。


と言うことで、第1回はココ「舞闘家館」のルーツについて書いてみたいと思います。
そもそもの根底には舞闘家が有るわけですが、これについてはLicence-B のコラムを参照してもらうとして、web上での展開として舞闘家館が始まったきっかけとは?





実はくだらないきっかけだったりするんですけどね。


舞闘家館の前身は、僕の父のページ「JA備南」に始まります。

当時、個人サイトと言うのは今ほど普及しておらず、インターネットも今ほど一般的ではありませんでした。
我が家でもWindows95 が導入されしばらくたった頃、新しい物好きの父がある日突然言い出した。

「ホームページを作ろうと思うんじゃけど、こんなんでえぇんか?」

何を唐突に言い出す?
「あん?・・・・・・」
無愛想に返事をしながら手渡された紙を見て僕は絶句した。





何じゃこりゃ〜!?

手書きなのは仕方ないとして、そこにはまるでワープロかDTPソフトか何かで書くのかと思うようなレイアウトや、書体が書かれたいたのだ。
しかも、それを当時利用していたプロバイダに作成してもらうらしい。
当たり前だが、作ってもらえば金が掛かる。しかも結構高かったりするんだな、これが。
農協のページと言っても、JA備南にはネットアクセス出来る環境もなければ、そう言うことを出来る人間も居ない。つまり、父の趣味で自分のアドレスに農協のページを作ろうとしているのだ。当時、全国的にも農協のページは殆ど無かった。
で、新しい物好きな父は早い者勝ちを狙って作ろうとしたのだが・・・・・・。

「こんなん無理だって。ワープロじゃないんだからこんな書き方出来んって。それに作ってもらったら金掛かるやんか。」
取り敢えず構成に問題が有ることと、無駄な金を使おうとすることに対して意見を言った上で、
「あ〜、もうえぇわ! そんなんやったら俺が作ったるがな」

こうして僕が「JA備南」のページを手掛けることになったんですね。
当然、僕も作るのは初めてだったんだけど、一応プログラマとしてのプライドも有ったし、新しい技術習得も出来ると思い、HTMLの解説本とかを片手にテキストエディタで作っちゃいました。

その後の更新も僕が手掛けていたんですが、「人のばかり作っていたのでは面白くない」と思い、自分が作っているのを良いことに、勝手に自分のページをJA備南のページに追加しちゃったんですね。
内容は、当然ジムカーナの参戦記な訳ですが・・・。(^^;;;
これが前身となった訳です。それが1996年頃。

でも、このページ、半年ほどで父がプロバイダを乗り換えたのをきっかけに閉鎖しました。
その頃には父も、自分でホームページを簡単に作れるツール「ホームページビルダー」を使い、自分で作れるようになってきたので、僕の手を離れたと言うのもありますが。


その後、個人でホームページを持つのが一般的になってきた頃、僕と同じクラブ員の上原君が「Gymkhana Greener」のページを立ち上げる時、「クラブ員のコーナーを作るから、住吉さんもネタ考えて」と頼まれた。
で、久々にネタを考えてたら、ムクムクと創作意欲が湧いてきた訳ですわ。でもテーマがモヤモヤとしていて決めかねていた。

同じ頃、兄の主宰する舞闘家練習会等のリザルトをメールで配信しているのを見て思った。
「これ、メールに書くだけでも大変だろうに・・・・。それにちょっと見づらい。ついでに言えば、CCが膨大だし、配信されてない人はリザルトを見れないんだよな。」

ここで、改めて位置関係を整理しましょう。
兄の主宰は千葉県在住である。僕はと言えば岡山県在住である。
当然、関東のコースや事情を僕は知らないので、タイムだけのリザルトを見てもピンとこない。
ただ「ふ〜ん」と思うだけだ。








ひらめいた!
そうか、こう言うのをWeb上で公開すれば記録として残るじゃん!誰でも見れるじゃん!
コース図とかも載せちゃえば、他地区の人にも分かり易いじゃんか。

それっていいじゃん!!

こうして、1998年2月、ネタ元・兄、制作・弟の舞闘家館が生まれた。